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701件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号

遡れば、石橋湛山の「小日本国主義」であり、「決して軍事大国を目指さず、経済成長至上主義に陥らず、美しい地球を継承させるため、国内外で積極的な役割を果たす平和国家」です。  中学生の時に見たユージン・スミスさんの水俣の写真は衝撃でした。人の命よりも経済成長を優先した、あのようなことを二度と起こしてはならないとの思いで、当選後「水俣」の問題にも取り組みました。しかし、未だに道半ばです。

大島理森

2021-02-19 第204回国会 衆議院 予算委員会 第14号

その後も、しかし、石橋湛山総理は、中国に宛てた手紙の中で、できる限り国境障碍を除去しという形で、「碍」を、やはりさすが文化人ですから使っていらっしゃったわけですが、その後、障害者団体皆さんなどから、「害」は、害虫の害、害悪の害、そういうふうに言われるのは嫌だということで、議論してくださいということで、文化審議会国語分科会で議論されて、二〇一〇年に、しかし、「碍」は採用されなかった。  

川内博史

2019-05-31 第198回国会 衆議院 文部科学委員会 第17号

さらに、一九五九年、石橋湛山先生周恩来さんに手紙を書き、その中で、できる限り国境障碍を除去しと、この障碍は「碍」を使って、できる限り国境障碍を除去しと、「碍」を使って手紙を書き送っています。  私、そもそも、一九四六年に、当用漢字表になぜ「碍」を外したのか、「害」しか使えないようにしていったのかということがすごく疑問なんです。なぜなら、「害」にいい意味はないからです。

川内博史

2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

ただし、やはり、漢字圏人たちに「害」の字で障害という言葉を読ませるというのは、大変に日本という国を誤解させることにつながるのではないかということで、実は大臣、一九五九年に、石橋湛山先生周恩来さんに石橋原則ということで書簡を送っているわけですけれども、その三原則の二に、経済において、政治において、文化において、できる限り国境障碍を除去し、お互い交流を自由にすることというふうな書簡を送っているんですけれども

川内博史

2017-06-06 第193回国会 衆議院 農林水産委員会 第18号

そういう観点から、私のスライドなんですが、最初に、石橋湛山という有名な政治家の方が戦前に書かれた文章を引用させていただきました。  日本の農業はとても産業として自立できない、ゆえに保護関税を要する。低利金利供給を要する。今回であれば、収入保険を要するということだろうと思います。

山下一仁

2017-05-24 第193回国会 衆議院 経済産業委員会 第15号

石橋湛山さんです。戦後、総理になられました。小日本主義というのを唱えました。大国主義はいけないと。僕は彼の本を数冊読みまして感動いたしました、大分前ですけれども。軍事大国主義に対して小日本主義を唱えたんです。  ですけれども、今、日本経済大国主義に陥っているんだろうと思います。グローバリゼーションということでどんどん出ていく、貿易も投資も。  

篠原孝

2015-06-10 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第8号

石橋湛山先生河野一郎先生松村謙三先生三木武夫先生、こういう方々が日米安保条約の採決のときでさえも棄権や欠席をされております。  そこで、最後に外務大臣にお尋ねしますが、この戦後政治における宏池会の果たしてきた、いろいろな外交的な岐路がありましたが、その意義、そして、今回の法案、本当にこれでいいと思いますか。責任ある立場にいらっしゃる大臣のお考えをお聞かせください。

落合貴之

2015-03-04 第189回国会 参議院 憲法審査会 第2号

いろんな意味で、権力が自ら自分を縛るというところに権力自己抑制自己拘束の発現があるのであって、是非皆さん方国家権力の重要な部分を担当されている方は、まさに今までの政治家たち自分に対する抑制的な表現、例えば自由民主党先輩政治家が非常に抑制的なことを言っておりますけど、私、是非石橋湛山自由民主党第二代総裁、内閣総理大臣岩波文庫評論集を読んでいただきたい。

水島朝穂

2014-03-26 第186回国会 衆議院 内閣委員会 第7号

石橋湛山であります。これは総理兼務であります。二代目、石橋湛山。正力松太郎さん、そして石橋湛山三代目、ちょっと僕は正力さんかなと思ったんですけれども、途中、宇田耕一さんという、これはなかなかの大物でしたけれども、宇田耕一さんで、また正力松太郎さんが事実上三代目を務めて、四代目は三木武夫大臣の御地元である中曽根康弘さんも五代、こういうことでありますから。  

近藤洋介

2014-02-05 第186回国会 参議院 予算委員会 第2号

ちょうど、三十二年といいますと、その前の年に鳩山総理が辞任され、そして石橋湛山内閣ができたんですが御病気になられて、二月に岸内閣ができたときです。  この中で、こんなのは読むつもりはないんですけれども、加藤シヅエさんがこのMRAの、フィリピンのバギオで第一回のそのアジアの会議があった、そこに出席してきたことを報告しているんですね。

前田武志

2010-04-23 第174回国会 衆議院 環境委員会 第9号

まず第一点は、石橋湛山先生は、我が郷里の生んだ唯一の総理でございます。そういった意味では、私も石橋湛山先生を目指して政治活動をしてきた人間でございますので、その石橋湛山先生言葉というのは十分私も心得ているつもりでございます。大変リベラルで、経済通で、そういった意味では、私もそういう政治家になりたい、そう思ってやってまいりました。  

小沢鋭仁

2010-04-23 第174回国会 衆議院 環境委員会 第9号

そのときに、石橋湛山、東洋経済新報ですね、大正十年の「大日本主義の幻想」という社説があります。石橋湛山はここで、実に見事な論理でもって、堂々と国策の非を鳴らしております。私は、この石橋湛山の主張が正しいかどうかということを今ここで言いたいわけじゃないんですよ。けれども、国家の向かうところを左右する重要な国策を決めるに当たって、反対する意見にも耳を傾ける、十分議論を尽くす、説明する。

古川禎久

2009-05-12 第171回国会 衆議院 予算委員会 第27号

石橋湛山日本主義を唱えて戦争に反対された。和田博雄さん、農林水産省の局長ですよ。企画院グループ事件というので捕まったりしています。それから、反軍演説をされた斎藤隆夫さん。それで、この人たち東京近県云々というのは、ちょっとこれは間違いがあるかもしれません。吉田茂さんは、何か、耕余義塾という聞いたことのないところに行っていられるんですね、私塾で全寮制の。そして世襲はこれだけ、一名。  

篠原孝

2009-02-27 第171回国会 衆議院 予算委員会 第22号

日本においては、石橋湛山大正時代にそういう話をしております。諸外国においては、例えばイギリスのブライス、フランスのトクヴィル、彼らも二百年ほど前からこういう指摘をしているわけであります。しかし、残念ながら、今の日本の自治体は、三位一体改革によって本当に財政的に痛めつけられた上に、さらに、貧すれば鈍すというんでしょうか、非常に苦しい状況になっているわけであります。  

逢坂誠二

2008-11-12 第170回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

その間に石橋湛山さんがちょっといまして、次の岸内閣日米安保の改定をやった。政治がぎくしゃくしてくると、次の総理大臣池田勇人所得倍増を唱えた。所得倍増高度成長を進めたら公害とかひずみが出てきた。次の佐藤内閣では、たしか昭和四十二年に公害対策基本法をつくる、あるいは環境庁を四十六年に設置する。そして佐藤内閣は、いわゆる台湾寄りだった。  そうしたら、次の田中内閣日中国交回復をやった。

遠藤宣彦

2008-05-23 第169回国会 衆議院 外務委員会 第16号

ですから、余り大国意識は持たずに、私は昔、石橋湛山さんの小日本主義というのにほれぼれして、「農的小日本主義の勧め」という本を書きました。小というのはちょっとしみったれていてよくないかもしれません。ですから、そういう点では、ミドルパワー中進国、その役割でもって、特徴ある役割国際社会でも果たしていくということが私は必要なんじゃないかと思います。  

篠原孝

2007-12-05 第168回国会 参議院 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第4号

参考人北岡伸一君) 石橋湛山という近代日本最高のジャーナリストが総理大臣になりました。ですから、例が皆無ということはないと思います。  ヨーロッパの例で、ああすごいなと思うのは、人材供給の面で、相当な地位の人が相当な力、学識、文化を持って国連の高位高官になることがございます。

北岡伸一

2007-05-15 第166回国会 参議院 総務委員会 第15号

那谷屋正義君 今、統計歴史を振り返る中でふと気が付いたことがあるんですけれども、それは吉田茂それから石橋湛山以外に統計歴史にはなかなか政治家というものが登場してこなかったということであります。統計は、先ほどお話ありましたように政治的に中立でなければなりません。これは原則中の原則であります。統計は時の都合で政治や行政に左右されてはならないわけであります。  

那谷屋正義

2007-02-21 第166回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第2号

私は学生時代に、早稲田ですけれども、私淑していた、私淑というか、その本を読んで尊敬を申し上げておりました石橋湛山先生は、日米中ソ平和同盟ということをおっしゃっておられました。当時は全く相手にされなかったそうでございますけれども、今でいうと日米中ロ、さらにそれに韓朝、将来は日米中ロ韓朝平和同盟をつくるんだというぐらいのビジョンをしっかり持ってやっていかなきゃいけないんじゃないかなと。

岩屋毅